リーガルブログ

民法改正パートⅢ


1 保証人になるなかれ!?

こんにちは、博多の花田です。私など、親から他人の保証人になってはいけないよと、よく言われた記憶を持っています。実際に、友人から「新しく高齢化社会向け介護ロボットのレンタル事業を始めたい、ついては事業資金として3000万円を銀行から借りることになった。申し訳ないが花田、保証人になってくれ。昔、女を紹介した仲やないか」と言われたとすれば、私は血の気が引いた顔で答えるでしょう「すまん 俺には守るべき家族がおるねん」。

保証とは、そんなに危険な行為なのでしょうか?保証契約とは、ザックリ言えば、他人の債務(平たく言えば借金)を自分が代わりになって履行する(支払う)ことを内容とする、債権者(お金の貸し手)と保証人との間の契約のことです。自分が借りたわけでもない借金を自分が代わりに払うわけですから、確かに恐ろしい話です。

しかし、身近な話でいえば、マンションを借りるときに連帯保証人を立ててくれ、だとか、不動産などの担保がない人がまとまったお金を借りる際に親に保証人になってもらうなどといったことは、よくあることです。こうすることで、貸し手はリスクを分散することができ、借り手も簡易に資金等の調達ができます。したがって、保証制度とは、危険な契約であるとともに有用な契約でもあるわけです。今回の民法改正の中間試案では、保証人保護と保証制度の有用性をいかにして両立させるかに注力しています。

2 守るべきものは誰か?

保証人の規定に関しては、中間試案自体が十分に議論を詰め切っておらず、まだまだ流動的であることをお断りしてきます。そのうえで、保証人となった個人が生活の破たんに追い込まれるような事態を防ぐにはどうすればよいか?が問題です

そうです、個人が保証人になること自体を禁止してしまえばよいのです。しかし、何でもかんでも禁止というわけにはいかないので、範囲を絞ります。保証で問題になるのは、以下の2パターンです。

① 保証される債務の範囲に金銭の貸渡しor手形関係債務(これを貸金等債務といいます)が含まれる根保証債務であって、保証人が個人であるもの

(根保証とは、債務者=借り手が、未来にこしらえる不特定の借金も一定額の範囲で保証するというという未来志向の保証契約です)

②債務者が事業者である貸金等債務を保証の対象とする保証契約であって、保証人が個人であるもの

但し、①②の個人保証人が、債務者の経営者である場合は除く。

①②にあてはまるものは、原則禁止されます。マンションの家賃の連帯保証人などは①②には当てはまらないので今まで通り有効ということになります。また、中小企業融資で頻繁に用いられる、会社への融資に対して社長が個人として保証をするいわゆる経営者保証に関し、その需要が大きいため禁止の網から除外されています。しかし、経営者とは何を意味するのかは、まだ明確に定義されていませんからこの定義の仕方次第では、大分内容が変わってきます。

そうは言っても、上記のような改正がされれば、今まで以上に貸し手には保証人の身元調査が必要になりますし、保証人になれる人の幅はかなり狭くなる印象を与えます。これでは、信用融資制度が機能しなくなるのではないか?と、経済界は、強く反対の意見を表明しています。

3 重要視される情報提供

上記2の議論とは違った角度で保証人の保護をはかろうとするものに、事業者である債権者=貸し手からの情報提供の義務付けがあります。債権者から個人の保証人に対して、「保証契約の中身」「保証される債務の内容」「委託をうけて保証をした場合には債務者の信用状況」などを提供させ、これを怠れば保証人が保証契約を取り消すことができる、というものです。議論になるのは、債務者の信用情報の提供をどこまで開示するのか、情報提供を怠ったことのペナルティーが保証契約の取り消しではあまりにも過酷すぎないか、というところではないでしょうか。こちらも経済界には不評です。

4 伝家の宝刀裁判所

こちらに関しては、最終兵器といった感もありますが、裁判所が一切の事情を総合判断して過大な保証債務を減免できるという案もあります。裁判所が介入することで、公正・公平な解決を図ろうとするものです。しかし、保証契約に関する裁判所の事後的な介入の余地を広く認めてしまうと、保証契約を行うメリットが大幅になくなってしまいます。貸し手としては保証契約がきちんと履行されるとの予測ができないからです。結果として、貸し手は融資に慎重にならざるをえなくて、信用力の弱い債務者の資金調達を害する恐れがあるのでは、とも危惧されます。

5 法律に思いを託して

保証契約は、過剰負担からの保証人の保護と債権者のための十分な担保の提供という相対立する要請を常に伴います。どちらを重視すべきかという客観的な答えがないところにもどかしさがあります。置かれている立場により見える風景が違い、信じる価値が違う。法律とは、このバラバラな人々を対立させることなく調和させるための優れて政治的な技術なのだと思わずにはおられません。保証契約が、今回の改正によりどのようになるかは、今後の議論次第ですが、いかなる規定になるにせその文言には、その時点での人々の思いが託されています。この法律は、何を守ろうとしているのか?という視点で今回の民法改正を捉えてみてれば、法律がより身近になるのではないでしょうか。

花田